「青の時代 (新潮文庫)」のカスタマーレビュー
三島の未熟さが新鮮に映る
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この作品が出版された際、三島は25歳前後。三島は既に当時『仮面の告白』を発表して早熟ぶりを発揮していたが、本書には若さに伴う未熟さが随所に見られる作品である。三島自身も本作を失敗作だと認めているという。確かに現実の出来事をモデルにするというストーリーの安直さや、通俗的とも言いうる後半の物語の展開などは、三島の他の傑作からすると明らかに見劣りするものである。
しかしながら、これまで三島のいわゆる傑作しか読んでこなかった私にとっては、本書のこのような未熟さが逆に新鮮に映った。三島にもこのような作品を書いてしまった時代があったのだと。特に読んでいて苦笑せざるを得なかったのが、主人公誠の東大法学部時代の学問面がバランスを失しているほどに詳細に書き込まれているからである。誠は法学の中でも最も抽象性が高く、形式主義的であるすら刑法学にのめり込むが、三島自身も法学の中で最も刑法学(正確には刑事訴訟法)を好んだのは想起されるべき。西尾幹二の解説によれば、三島は主人公誠とは距離をとったとのことだが、刑法学への嗜好など、両者がシンクロしている箇所はある。また三島自身も東大法学部卒であり、三島も自分の東大での青春時代を回想して本書を書き上げたのではないか。
本書は必ずしも傑作とは言えない作品かもしれないが、このように三島にとっては本書は自分の経験をフルに活用して書いた作品なのである。三島文学理解のためには本書は必読だと思う。また、少なくとも前半の誠の性格付けは見事の一言であり、この技法はそれ以降の傑作群へと連なるものである。
屈折した高学歴青年による痛快な犯罪ストーリー
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この小説は後半から面白みのでてくる構成である。前半は主人公が、いかに屈折した人間として成長してきたかを物語る展開であるが、これはこれで十分に楽しめる内容だ。
後半は、話がとび東大在学中の話になる。そこで主人公は信用した相手にまんまと騙されたことが原因で、自分も騙す側になり利を得よう決心する。まず名前だけの会社を立ち上げ、高利貸しという売り文句のエサで、手段を選ばず顧客を引き込み、演技力と勢いと強欲に任せて悪事に悪事を重ねていく。その展開が痛快でテンポがよく、サクサクと読み進めることができた。
三島文学の中では読みやすい一作で、マキャベリズム好きにはおススメである。
ちなみに本小説を読み、モデルとなった光クラブ事件とやらを軽く調べてみたが、結末は現実のほうが悲劇である。しかも、現実の主人公はスケジュールで徹底的に時間管理を行う完ぺき主義者で、愛人も6人いたそうだ。なんとも小説の主人公が現実的で可愛くも思えてしまい失笑してしまった。
異彩を放つ作品。
ライブドア事件が起きた時に、「光クラブ事件」と対比させて解説しているワイドショー番組を見ました。三島由紀夫が「光クラブ事件」に興味を抱いて著した作品です。三島由紀夫が興味を抱いた、という時点で、既にドラマが始まっているような印象です。書き出しで、著者が光クラブをモデルにしていることを示すエピローグが入れられてあります。小説によってどこまで犯人の深層心理に迫れるか、という実験的な試みの作品なのではないかと想像しました。その結果、著者が想像していた時代的精神まで到達できなかったのではないかと思いました。青の時代は、若者の「青臭い時代」という意味ではないかと思います。若者の未熟な英雄譚、単なる愉快犯、といった程度の人物であったと三島由紀夫は考えたのではないかと思いました。ユーモア、風刺の効いた作品に途中で方向転換したのではないかな、等と思ってしまいました。犯人への興味が途中で絶えてしまった。そのことが、三島作品の中で評価が上がらない作品となってしまった原因ではないかと思います。それでも、三島由紀夫ならではの社会事件に対して小説家としてアプローチを行った異彩を放つ作品だと思います。
この主人公は自分で疑う範囲を限定しておいて、それだけを疑うのだ。
「認識」と「行動」−三島の小説でよく見られるテーマ。
つまり人間は頭で考えてから行動するのか、
それともあくまで人間の活動自体がまずあって、
それを理由づけて体系化するうえで認識が起こるのか?
三島は「行動が先」が持論だったと思うが、
行動と認識とが規則どおりに動きシステム化されていれば
世の人々は悩まないで済んだはず。
この二者が実体を素直に表に見せず、時として行動と認識の順序が
ごっちゃになったり入れ替わったりするから、ややこしい。
三島は人物創造において、この行動と認識の区別を整理し、
世の中の誤った思いこみに一石を投じようとしたものと私は考える。
「青の時代」は1950年に発表。
前年に発表された仮面の告白の主人公が、
母の胎内から生まれ出た時の情景を覚えている、と独白する箇所が印象に残っている。
なぜなら作中人物が自分の行動と認識に一定の制御を与え、理由付けをし、
(三島にとって)完璧に「プログラミング」された人物の創作に至ったと思えるからだ。
この作品では冒頭でとうとう作者が人物創造の意図を「序」として告白している。
今までにない人物創作によって真実の人間像に迫ってみせる、
という堂々たる宣言ではないか?
確かに尻すぼみの印象はある。起承転結の結がすぼんだような感じ。
主人公と相対する第二キャラの出来も今一つだ。
しかしこの作品はあくまで試行だと考えれば、
金閣寺によって、主人公の行動や思考の動機付け描写の緻密さや、
柏木という第二キャラの造形となって花開いたのだ、
と捉えることもできるのではないか。
青い
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とても読みやすいし、
実話を元にしているという点において興味がひかれるため、
最後まで一気に読めてしまう作品です。
ただ著者は主人公の人間性にこそ興味があるようで、
光クラブという貸金会社がどうやって儲けて、
どうやって破綻していったのか、
そこら辺の詳しいところはほとんど書かれていません。
東大生が会社を起して、しかもそれがたいへん上手くいって
大きな利益を出した。
現在ではそれほど珍しいことではないとは思うのですが、
当時としてはものすごく画期的な出来事だったのかなあ、
と思います。そしてまたその結末も。
三島由紀夫というと、いかにも文学者という感じで、
その文章はとても美しく、小説の構成も完璧である、
という印象があるのですが、本作に関しての評価は
あまり芳しくないようで、著者自身も本作に関しては
いろいろと後悔があるようです。